2011年12月6日火曜日

被災された方のお話

投稿者:杉崎 庸子

東北では、関東以西の人が想像しているよりも格段に寒さが厳しく、私たちが配布している小型のストーブ1台では絶対的に足りません。それでも、お渡しすると「これで温かい冬が過ごせます。ありがとうございます」と丁寧に感謝され、逆に申し訳ない気持ちになります。

地元で頑張って生活している人たちのお話をご紹介します。

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自宅避難されている30代~40代と思しき男性のお話。

家にいて津波が来るのを見ちゃった。まーー怖かった!
(この辺のニュアンスは文字にするのが難しいです。ご本人も言葉にするのも難しそうでした。この方のお宅は1階がほぼ水没する高さまで津波が来ました。)

仙台の方の海が燃えてるのが見えたし。
(家の周囲を指差して)ずーーっと向こうの家が見えるでしょ? 前は見えなかったの。林や建物があって。全部なくなっちゃうんだもん(自分でもいまだに信じられないという遠い目)

とにかく震災後、近所の人たちと、残ってる物をかき集めて焚火してバーベキューしたの。そうやって協力してるうちに『何とかして行こうかね』っていう気持ちが出てきたと思う。近所で協力し合えなかった地域はみんな家を取り壊しちゃった。ウチよりずっとまともに残ってた家だよ。

年寄りは家を残したいけど、若いのは『こんな壊れた家イヤだ』って。取り壊し費用は行政(国?)が出すんでタダだから壊しちゃって仮設に入った。今は瓦礫処理の仕事があるけど、それもたぶん2~3年で片付いたら首切られておしまいなんじゃないか?って。そしたら仕事はなくなるし、仮設はいつか出なきゃいけないから家もないし、、、。今になって『家を壊さなければ良かった』って、言ってる人がいっぱいいる。

農家として再生したくてもお金がかかる。中途半端にお金使って、結局根こそぎ無駄になるんじゃ困るし…。この先どうなるのか、すごく不安。

年寄りはやることがなくてボケちゃう。小さいスコップやプランターでもあれば、自家菜園ができる。ボケ防止にもなるし食べ物を自給自足できる。買いに行くにもお店が遠くて行かれない。
(はっきりは言わなかったけど、やはり先行き不安で出費できない部分も大きいと思われます)

亘理はイチゴの町。報道でイチゴが出荷されたって出たけど、それも全体の農家の1割~2割。ほとんどの農家はまだまだ全然回復していないよ。



通りがかりに見かけたビニールハウス。この一帯もまともに津波の被害を受けたところなのに、ここまでにさせたのかと思って胸がいっぱいになりました。
でも真新しいハウスが奇異に見えるほど、周囲では畑の再生は進んでいません。


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相手の女性とはお電話で話したので直接はお会いしていないのですが。

地震の時は自宅にいた。うちは海から100メートルくらいのところだからすぐに逃げた。避難所に指定されている学校に行ったけど、そこも危ないからもっと海から離れたところへ移れって指示が出た。でも余震がずっと続いて揺れて歩けないの。地面もあちこち割れていたしね。

亘理町は平坦な土地だから、どこまででも津波が来るのよ。
(確かにずーーーっと平坦な土地です。小高い山もちょっとした高台も近くにないので、車でないと、徒歩では津波の速さに負けてしまうと、私も思いました。)

避難所で言われたのが、『この震災で、日本全国が東北のために節電しています。どういうことだか分かりますね。むやみに電気はつかえません』と。
(誰から言われたのかは聞きそびれました。私は「東北の人が電気が使えますようにって、あの時みんな非被災地の人はあらゆる電気を切ったのに」と残念でした。)

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外からは一律に同じような被害に見えても、現在の住人の生活状況はさまざまです。
被災地の状況を知っていただくために、これからも現地の皆さんのお話をできるだけご紹介していきたいと思います。ぜひお心をお寄せください。

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