2013年10月28日月曜日

大型台風襲来で見えてきた被災地のいま

記 : 杉崎 順一

しばらくブログの更新が滞っていますが、メンバーはそれぞれ活動を継続しております。

去る10月16日、台風26号が猛威をふるった宮城県で、いつも連携しているボランティアグループ、(社)チーム王冠の支援活動に参加しました。
この日は電車が運休し、学校も休校になるほどの悪天候の為、当初予定していたお茶っこバスが中止となり、チーム王冠の長期滞在ボランティアF氏と一緒に、支援者宅(主に独居の高齢者)を、台風で困っていることはないか何か所か見回りしてきました。


 牡鹿半島で撮影。長く続く豪雨の為、山が雨を吸収しきれず、あちらこちらで道路などに溢れ出していました。一部では通行止めもありました。
民家の多くは山や崖を背負うようなロケーションにあり、土砂崩れなどあれば非常に危険です。しかも高齢者の独居であったり、独居でなくても昼間は独りでいたりするケースが多く、万が一の場合に迅速な避難は難しいと思われました。いわゆる「災害弱者」が多い印象です。



雄勝町で撮影。石巻市や女川町では転覆してしまった小型漁船を何艘か見かけました。
転覆した船も 船体に大きなダメージが無ければまた使えますが、水に長時間浸かった船外機(エンジン)は再起不能か、修理にお金がかかるそうです(電子部品が使われている最近の船外機は意外と水に弱いとの話も聞きました)。
そもそも宮城県では東日本大震災で船を失った漁業者が多く、新たな借金をして購入された船が沢山あります。まだ返済が終わっていないとすれば、修理代の出費も大変だと思います。
少しづつですが、壊された岸壁の工事などが進み、本格的に漁業の復興が期待されるところにきての台風被害です。牡蠣や海鞘、ワカメなどの養殖設備の被害も心配です。


女川町で撮影。写真左側は万石浦という外海とつながっている大きな入江です(カキ養殖で有名)。
万石浦の水面(海面)は明らかに道路より高く、あとわずかで道路側にあふれてきそうでした。この日は大潮にあたり、また撮影時はちょうど満潮も重なりましたが、こんな危険な状況になる最大の要因は平均で70cm、最大で1m50cm以上ともいわれる、東日本大震災による地盤沈下です。
道路を挟んで反対側には民家や漁業関係の小屋などが立ち並んでいますが、震災後に建て直したところはほとんどが盛り土でかさ上げしてあります。それでも床上浸水まであと少しですし、道路の冠水もひどく、容易に出歩ける状況ではありません。


石巻市内で撮影。ここも地盤沈下の激しい場所で少し長い雨が続くと頻繁に冠水します。石巻市や女川町には、このように冠水、浸水しやすい場所がいまでも多くあります。
あたりまえですが地盤沈下は自然治癒しません。ポンプの設置を含め、水はけを良くする工事は進められていますが、大規模なかさ上げが行われない限り基本的に東日本大震災直後の『まま』です。
根本的な対策の難しい激しい地盤沈下は、普段は姿を見せませんが、一旦雨が続くとすぐに牙を出します。この先何年この地盤沈下とともに生活を続けなければいけないのか、私にはまったく予想ができません。


台風は夕方には宮城県から遠ざかり、美しい夕焼けや虹を見ることができました。大規模災害が発生しなかったのは幸いでしたが、チーム王冠は後日、被災者宅の雨漏り修理や、強風で壊れた小屋の片づけなどを行っているはずです。

東日本大震災のときに家屋の倒壊や流失を免れ、なんとか自宅に住み続けることのできる「在宅被災者」は、家が残ったがために支援が届かないという苦汁を経験し、一部では今も続いています。コミュニティーの崩壊、失職、社会基盤整備の遅れ、不自由な交通手段や買物、高齢者の独居などなどです。
東日本大震災の被災地ではまだ支援の手を待っている人たちがいます。現地ボランティアへの後方支援を含め、今後も活動を継続していくつもりです。

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記 : 杉崎 庸子
 
夫とともに石巻入りし、私の方は雄勝で養殖業のお手伝いでした。長期ボランティアの男性Sさんと、この日の朝到着した女性のTさんとご一緒でした。
 
北上川の脇を通る道路は、震災後、補修工事されたものですが、雨量はまだそれほどでもないのに、雨水が溜まっていました。
Sさんは元々建設会社に勤務されていた方。「道路に勾配をつけて排水をちゃんとすればこんなことにはならない。これが国土交通省の仕事とは思えない」とおっしゃっていました。
 
目的の浜に行くには、一度山に入って峠を超えて行かねばなりませんが、台風による倒木で封鎖されているとのことで、通常より30分以上かけて遠回りして向かいました。その途中にも、木が倒れて通れなくなっている場所があり、3人でその木を押し戻して通った道もありました。
 
加工場に到着すると、おじいさんと息子さんで、台風で壊れた壁や雨漏りの修理をしていました。
被災地で自宅も直しきらずに漁業を再開した人たちの苦境は壮絶なものがあります。養殖のための準備をしなければならないのに、台風で壊された小屋の修理や、作業場に吹き込んだ雨水でダメになった出荷用の段ボール、吹き込んだ小枝や枯葉の片づけに追われて、本業に取りかかれません。
 
どんな小さな出費も抑えようと、日々節約できることは節約しているのに、ダンボールやガムテープの損失も小さなことではありません。またブルーシートは消耗品なので、どれだけあっても足りないとのことでした。 

おじいさんは、「ここに60年か70年いるけど、こんなにひどい台風は初めてだ」とのこと。またせっかく成長してきたホタテが、荒波に流されてしまわないか、心配していました。大きく成長したもの程、重くなっていて、貝殻を止めているピンから外れやすいとのことでした。
 
ワカメを納品しに行く時に、ここの奥さんが車で走りながら自宅の浜の周辺と雄勝の中心部に何があったかを教えてくれました。「ここは中学校、コンビニ、病院、お寺、、、。」
すべて、今となっては聞かなければ何かあったのかわからない、更地か草地になっていました。
 
 
「そこに何があったのか、記憶があいまいになって行くのが寂しい」
「何も学校だった場所をゴミ置き場にしなくてもいいと思うの。仕方ないけど悲しい」
そして、復興予算が他の地域で使われていることへの落胆と怒り。
 
 
帰り道の山の中では、Sさんが教えてくれました。「ここの道を入って行くと仮設住宅があるんですよ」と。
周囲は森のように木が茂っていて、その先に住宅があるとは思えないような場所です。
 
三陸は平地が少ないですし、平地はほとんど津波被害を受けているので、そのような場所に仮設を建てざるを得ないのもわかりますが、人里離れた山の中の仮設での生活も、津波被害を受けた場所での漁業再開も、どちらも困難が多く、震災後の緊急事態は過ぎ去っていないのだと切実に感じました。


毎回、行くたびに、自分の非力を感じるばかりですが、勇気を出して何とか進もうとしている人や進みたくても進めない人たちにとって、少しでも力になれるのであれば、継続してお手伝いしていこうという気持ちを新たにしました。
 
台風が過ぎ去って3時間後の雄勝の海