2011年12月23日金曜日

被災された方のお話---その2

今回も、私たちがおいとまする時は道路まで出て、帽子を取って直立不動で車を見送ってくださったり、車が見えなくなるまで手を振ってくださったり、また写真を撮りたいという申し出にも快く応じてくださいました。



・50代くらいの男性

(この方は、心の中に溢れるものがあるようで、一生懸命話してくれたのですが、地元の方言交じりでこちらが聞き取れなかったのが本当に残念でした。でも話を聞くだけでも少しはお役に立てるかと、とにかく耳を傾けました)
自宅の2階で母親を亡くした。原因は津波ではなく地震で。
地元の消防団だったため、自宅には数日間帰れなかった。
(津波が通った道を指差しながら説明しながら)アスファルトが津波でめくられたところに、20人位の亡くなった人が溜まっていた。
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・40代くらいの女性

震災の日は家にいた。「津波」って、水がみえたんじゃないのよ。瓦礫、いろんな「モノ」が遠くから押し寄せるのが見えた。家族と2階に上がって窓から外を見ていた。みんなこの家も流される覚悟でいた。
水はどーーーっと流れてくるというよりも、地面からじわじわ上がってきた感じ。(外壁に残った津波の跡は、ちょうど1階が丸々水に浸かる高さ)

「まさかここまで津波が来ないだろう」と思った人が多かったらしく、海に本当に近いところよりも、こっちの、海から離れているところの方が亡くなった人が多かった。周囲に家が建っていたので、右の荒浜中学校や左の荒浜小学校は、震災前は見えなかった。

間に建っていた建物が流されて、以前は見えなかった学校が見えるようになってしまった。



震災直後は小学校に避難したけど、自宅を片付けてずっと住んでいる。これからも住み続ける(笑顔)! 



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・40代くらいの女性

震災の時は自宅にいた。気づいた時にはもう水が来ていたので逃げられなかった。2階に逃げたが、どこまで水が上がって来るかわからなくて不安だった。2階から時々1階を見に来るだけで・・・。
1階の窓ガラスにはフィルムが貼ってあったので、ヒビは入ったけど、粉々になって落ちるということはなかった。だから鉄砲水のようなのが入って来なかったのかもしれない。でも隙間からじわじわと水が上がって来て、どうしたらいいのかわからなくてウロウロするだけだった。浮き上がったコタツの板を押さえたり・・・。


夫は仙台で働いていて自宅に帰れなかった、そうこうしているうちに福島原発が爆発して、山元町も福島第一原発に近いということで帰宅してはいけないということになり、1週間位会えなかった。

でも震災の翌日には自衛隊がやって来て、早かったですよー。
なんていうの?ブルトーザーみたいに瓦礫をガーーッとおしのけて、道というか通れるところを確保して、避難所に連れて行ってくれた。
(私が山元亘理は震災当初はテレビでだいぶ取り上げられてましたよ、というと、)
そうなんですか? 直後から電気が使えなかったから、テレビ見られるようになった時は石巻のことばかりで。こんな小さな町だからやっぱりね、って思ってた。(と言いながらも笑顔)

困っているのは電車ねーーー。
子どもの通学ができないので、行政がバスを出してくれてそれで通っているけど。


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・70代の女性

昭和9年生まれ、20年前に直腸がんでお腹を切っている。
2か所の避難所で半年間生活し、9月に自宅に戻った。こんなになっちゃったけど戻れる家があるだけ幸せ。流されちゃった人に比べたら、文句は言えない。

でもまだ余震で揺れるのが怖い。元々地震は怖くなかったけど、これ以上壊れたらどれだけ費用がかかるか・・・。今は屋根の修理だけなら110万という見積もり。でも修理は3月にならないとできないと職人さんに言われた(資材と人手不足のため)。それまでに余震で壊れた部分が広がったら、費用がかさむことになるから心配。余震で家がゆがんで、サッシなどの建具が開け閉めできなくなった。
(お別れの時には、ご丁寧に深々とお辞儀して見送ってくださいました。(涙))
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・50代くらいの男性
(写真を撮らせてくださいとも言い出せないくらいに、まだ雑多なものが家の周囲に残っているので、私が「大変ですね」と言ったら)
大変ですかね?大変ではないですよ。大変なのは親戚に『早く片付けろ』といわれることかな~。(ニコニコ)。


人によって受け止め方も千差万別。
もちろん、表面上に見えることだけでその人の心の内を知ることはできませんし、昼間はよくても暗くなると気持ちが沈むという話も聞きますが、何でもかんでも同じように受け取ってはいけないなと心に留めました。


被災地では、今後の生活の先行き不安から必需品も買い控えてしまう人がたくさんいます。ストーブを贈ったところで燃料の灯油の調達をどうするかなどという問題もあります。
しかし、全国の(もしかしたら世界の?)皆さんが気にかけているというメッセージを送ることはできます。当プロジェクトでは、寄付を募ってストーブを調達したなどの経緯を書いたメッセージチラシをつけてお届けしています。

東北では品薄で(というかほとんど皆無に近いのですが)、買いたくても買えない状況でもあります。私たちもなるべく東北で調達するようにしてきましたが、まとまった台数の確保と価格の点から、東北以外での調達もやむを得なくなってきました。

ということは、被災された人たち、ネットが使えないお年寄りは、なおさらストーブが入手できません。ストーブは来年も再来年もずっと使え、また寒い東北では絶対に無駄にはならないものです。


私たちはまだまだ続けます。どうぞご協力をよろしくお願い申し上げます。

ゆうちょ銀行 10200-2417881 
(名義)東北ほっとプロジェクト
   ※他の金融機関から振り込む場合 
    店名:ゼロニハチ(〇二八) 普通預金 0241788

投稿:杉崎庸子

2011年12月17日土曜日

お礼と中間報告

皆様から、文字通りの”あたたかいご支援”をいただき、

本日までに178台の石油ストーブを被災地で配達してきました。

本当に心より感謝申しあげます
雪の舞う被災地においてまだストーブの支援を必要としているご家庭に
一台でも多く、一日でも早くみなさまのお気持ちを形にして届けたいと
改めて気合いを入れなおしております。

購入台数202台+現物支援21台=計223台のうち
当プロジェクト配達141台
一般社団法人チーム王冠配達37台
未配達分45台

当プロジェクトが現地で配れない間も、
話し合いのもと配達先を決めた被災者のお宅へ
チーム王冠さんの協力を得て上に述べましたように
少しでも早くお届けできるよう活動しております。

http://d.hatena.ne.jp/team-oukan/

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当初プロジェクトを立ち上げるにあたりメンバーで話し合いをしましたが
正直、このプロジェクトがどのくらいの規模になるかは全くの未知数でした。
こうしてここまで多くの方々のご協力をいただき、
現地の方の喜ぶ顔に出会い、心のこもったお手紙を読ませていただくと
もうひとつも、ふたつも我々が頑張らなければと思っております。


引き続き、ご支援、情報の拡散にご協力願えれば幸いです。
本年中にもう一度ストーブ配達を調整しておりますので
何卒よろしくお願い申し上げます。

東北ほっとプロジェクト会長:笠原宗一郎

2011年12月15日木曜日

山元町・亘理町でのストーブ配布完了しました!

12/14(水)、ストーブの配布をし、24軒のお宅にお渡ししました。
これにより、山元町・亘理町の地域で把握できている自宅避難者のお宅、約170軒へのお届けが完了しました。
今回も、大学生さんたちの「あったかおまけ」をおつけしました。12月のご多忙な中、先生と学生さんとのみごとな連係プレーで仕上げてくださいました。

昨日のお届けでもやはり、特に年配の女性が「買いに行ったけどストーブ売切れだったの」とか「お店が遠くてなかなか買いに行かれなくて」とか、また「気にかけてくれる人がまだいるんですね、ありがたいです」と深々と頭を下げられたり・・・。ストーブも、そして被災地以外の人たちの温かい気持ちが歓迎されていることを確信しました。


皆さんからのお志であることを書いたメッセージと電池とをつけてお届けしました。



お隣の方が、チームリーダーさん宅に取りに来てくださいました。
写真をお願いすると、「ああいいよ~」と、ごく自然体。こうして手押し車で取りに来る風景は、田畑に囲まれた地域ならではで、こちらもなんとも言えず気持ちが温かくなるのであります。



受け取りの際に必ず「お届け票」にサインをいただき、ミッション完了。サインをいただくことで、後で配り漏れや二重配布を確認することができます。
猫の「チビ」もストーブは大歓迎の様子。「お隣の猫ちゃんなのだけれど、お隣がいなくなっちゃったんで、うちに来てるの」とのこと。



こちらの男性は消防団なので、震災後は自宅に1週間ほど帰れなかったとのことでした。
私たちにお茶とコーヒーを差し入れてくださいました。


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念のためにあらためて申し添えますが、自宅避難者は行政では把握しておらず、公式の世帯数、人数はまったく分かりません。そのため、仮設入居者のようには家電などの物資の支給が一切ありません。当プロジェクトと連携しているボランティア団体「一般社団法人チーム王冠」がローラー作戦で地元を歩き、自宅避難者を洗い出し、支援を希望する方のみの名簿を作り、それに基づいて支援物資などを配布してきました。
(当プロジェクトのメンバー4人は、皆このローラー作戦を実際に経験しています。)

今後はまたチーム王冠との相談の上で配布先を決めますが、おそらく北上地区方面になると思われます。文字通り北上することになり、寒さも厳しくこれからは雪も積もります。遠くなる上に雪道で移動時間もかかり、さらに効率が悪くなることは間違いありませんが、必要とされる以上、諦めずに届け続けます。

現地に行って毎回思うのは、このような支援は私たち東北ほっとプロジェクトのメンバー4人だけでは到底かなわないことです。皆様のご協力があって実現していることに、あらためて心から感謝申し上げます。ありがとうございます。
今後ともどうぞ私たちの活動をお見守りいただき、可能な範囲でお力をどうぞお貸しください。よろしくお願い致します。

投稿:杉崎庸子

2011年12月13日火曜日

【活動予定】ストーブ配布にいってきます

いつも東北ほっとプロジェクトにご協力ありがとうございます。

12月14日(水)、第4回ストーブデリバリーを行います。配布予定地域は宮城県亘理町と山元町です。
今回の配布で両町の配布予定先には全てお渡しできると思います。

ストーブの調達先は2回目と同じ仙台市内のホームセンター「ダイシン本店」さんです。担当の副店長Oさんのご協力で、宮城県内の購入が実現しました。ご協力に感謝いたします。

帰ってきたら改めてご報告いたします。

文責:杉崎順一

2011年12月8日木曜日

【活動報告】お礼状をいただきました

宮城県亘理町(11月30日配布)でストーブを受取られた方より、お礼状を頂戴いたしました。


山頂に雪を頂く宮城県蔵王の写真(ご自身で撮影されたもののようです)を貼って、手作り絵葉書にしてくださいました。

ご自宅や資材置き場がすべて流され、会社を辞めようかと考えられたようですが、現在は場所を変え復興作業(水道関係)に携わっておられるとのことです。
「全国の友人、知人、また皆様のまごころが身にしみて、生きる希望になっています」と結んであります。
厳しい冬を無事乗り切られますよう、プロジェクトスタッフ一同、お祈りしております。

文責:杉崎順一

2011年12月6日火曜日

被災された方のお話

投稿者:杉崎 庸子

東北では、関東以西の人が想像しているよりも格段に寒さが厳しく、私たちが配布している小型のストーブ1台では絶対的に足りません。それでも、お渡しすると「これで温かい冬が過ごせます。ありがとうございます」と丁寧に感謝され、逆に申し訳ない気持ちになります。

地元で頑張って生活している人たちのお話をご紹介します。

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自宅避難されている30代~40代と思しき男性のお話。

家にいて津波が来るのを見ちゃった。まーー怖かった!
(この辺のニュアンスは文字にするのが難しいです。ご本人も言葉にするのも難しそうでした。この方のお宅は1階がほぼ水没する高さまで津波が来ました。)

仙台の方の海が燃えてるのが見えたし。
(家の周囲を指差して)ずーーっと向こうの家が見えるでしょ? 前は見えなかったの。林や建物があって。全部なくなっちゃうんだもん(自分でもいまだに信じられないという遠い目)

とにかく震災後、近所の人たちと、残ってる物をかき集めて焚火してバーベキューしたの。そうやって協力してるうちに『何とかして行こうかね』っていう気持ちが出てきたと思う。近所で協力し合えなかった地域はみんな家を取り壊しちゃった。ウチよりずっとまともに残ってた家だよ。

年寄りは家を残したいけど、若いのは『こんな壊れた家イヤだ』って。取り壊し費用は行政(国?)が出すんでタダだから壊しちゃって仮設に入った。今は瓦礫処理の仕事があるけど、それもたぶん2~3年で片付いたら首切られておしまいなんじゃないか?って。そしたら仕事はなくなるし、仮設はいつか出なきゃいけないから家もないし、、、。今になって『家を壊さなければ良かった』って、言ってる人がいっぱいいる。

農家として再生したくてもお金がかかる。中途半端にお金使って、結局根こそぎ無駄になるんじゃ困るし…。この先どうなるのか、すごく不安。

年寄りはやることがなくてボケちゃう。小さいスコップやプランターでもあれば、自家菜園ができる。ボケ防止にもなるし食べ物を自給自足できる。買いに行くにもお店が遠くて行かれない。
(はっきりは言わなかったけど、やはり先行き不安で出費できない部分も大きいと思われます)

亘理はイチゴの町。報道でイチゴが出荷されたって出たけど、それも全体の農家の1割~2割。ほとんどの農家はまだまだ全然回復していないよ。



通りがかりに見かけたビニールハウス。この一帯もまともに津波の被害を受けたところなのに、ここまでにさせたのかと思って胸がいっぱいになりました。
でも真新しいハウスが奇異に見えるほど、周囲では畑の再生は進んでいません。


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相手の女性とはお電話で話したので直接はお会いしていないのですが。

地震の時は自宅にいた。うちは海から100メートルくらいのところだからすぐに逃げた。避難所に指定されている学校に行ったけど、そこも危ないからもっと海から離れたところへ移れって指示が出た。でも余震がずっと続いて揺れて歩けないの。地面もあちこち割れていたしね。

亘理町は平坦な土地だから、どこまででも津波が来るのよ。
(確かにずーーーっと平坦な土地です。小高い山もちょっとした高台も近くにないので、車でないと、徒歩では津波の速さに負けてしまうと、私も思いました。)

避難所で言われたのが、『この震災で、日本全国が東北のために節電しています。どういうことだか分かりますね。むやみに電気はつかえません』と。
(誰から言われたのかは聞きそびれました。私は「東北の人が電気が使えますようにって、あの時みんな非被災地の人はあらゆる電気を切ったのに」と残念でした。)

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外からは一律に同じような被害に見えても、現在の住人の生活状況はさまざまです。
被災地の状況を知っていただくために、これからも現地の皆さんのお話をできるだけご紹介していきたいと思います。ぜひお心をお寄せください。

2011年12月5日月曜日

チャリティーライブのご寄付

昨日もこちらでご報告ましたが、本日12/5(月)、coco←musika(梶原順さんとゲレン大嶋さんのユニット)より、チャリティーライブの全収益とCDの売上、422,125円のご寄付いただきました。

詳細は、ゲレン大嶋さんのブログをご覧ください。
http://ameblo.jp/gerhen/day-20111205.html

coco←musikaのお二人、そしてチャリティーにご協力くださった方々、皆様にあらためましてお礼申し上げます。
またcoco←musikaのお二人が、東北ほっとプロジェクトのメンバーの誰とも面識がないにも関わらず全面的に信頼して下さったのは、大西恒樹さんのご紹介あってのこと、大西さんにも感謝申し上げます。

ご寄付の金額もさることながら、ゲレン大嶋さんがインターネットラジオOTTAVA animatoで当プロジェクトを繰り返しご紹介して下さるなどの応援も本当にありがたいことです。被災地の報道も激減し、*非*被災地での関心が薄れていることに私たちは危機感を持っています。一番怖いのは無関心です。ラジオでのお話で被災地にお気持ちをを寄せてくださる方が増えたのは間違いありません。

皆様の温かいお気持ちを、ストーブとともに責任を持って被災地にお届け致します。
今後も私たちの活動をお見守りいただき、ご協力いただければ幸いです。どうぞよろしくお願い申し上げます。

投稿者:杉崎 庸子

2011年12月4日日曜日

【活動報告】coco←musikaチャリティーライブに行ってきました

日程:12月3日(日)
文責:杉崎順一

【東北ほっとプロジェクト】に協力いただいている梶原順(ギターリスト)、ゲレン大嶋(三線プレーヤー)両氏のユニット、ココムジカのチャリティーライブに妻、庸子とお邪魔してきました。

お二人のホームグランド「シルバーウイングス」(横浜市青葉区)で夜8時スタート。おおよそ40人くらいのお客様で店内はいっぱい。立ち見もでる盛況ぶりでした。

ライブは基本インストルメントルで、ほっこりした音楽に浸りながらすてきな時間を過ごせました。

ステージはゲレン大嶋さんのMCで進行。冒頭には東北ほっとプロジェクトのご紹介も。会場で売れたCDの売り上げとライブの収益をプロジェクトへ寄付していただけることに! 本当にありがたいご協力です。プロジェクトスタッフ一同、感謝感謝です。

左から梶原順さん(ギター)、川内啓史 さん(ベース)、ゲレン大嶋さん(三線・ギター)

会場のシルバーウイングス。東急田園都市線たまプラーザ駅から徒歩5分くらい。

休憩中やライブ終了後もファンの皆さんと気さくにお話しされるお二人。ココムジカの音楽は年齢や性別を問わずおすすめできます。

coco←musikaのCDはインターネットでも購入できます。 →amazon

[special thanks]
ココムジカのお二人と知り合えたのは、ゲレン大嶋さんの友人、大西恒樹さんのご紹介でした。大西さんは震災後、政治団体「日本一丸」を自ら立ち上げ、チーム王冠と協力しながら独自の政治的な視点と幅広い人脈を使って、被災地、被災者を支援するべく精力的に活動されている「ボランティア政治家(c)チーム王冠伊藤代表」です。感謝。

2011年12月1日木曜日

【活動報告】第3回ストーブデリバリー

日程:11月30日(水)
投稿者:杉崎庸子

夫の杉崎順一とともに2人で行って来ました。
11/29(火)の午後、ストーブ57台とこれまで集めて来た家電(冷蔵庫11台、洗濯機10台)をトラックに積み込み、横浜を出発。途中で知り合いのところに寄って現物の寄付を受け取り、これでストーブは全部で59台になりました!




どこで仕入れたのか、アメリカ軍のトモダチ作戦のワッペンも一緒にくれました。うん、まだまだ国内でもトモダチ作戦続けたいね!


22:00頃福島県郡山に到着、ビジネスホテル「ルートイン」に宿泊。「旅人の湯」という人工温泉の大浴場(と言いつつちょっと小さめ)があり、旅の疲れを癒してくれるのです。

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翌日11/30(水)の朝に出発して、宮城県の亘理町に向かいました。この日は今にも降り出しそうな曇り空。ストーブを配り終えるまでは雨は降らないでと祈りつつ、亘理町に入りました。

しかしお昼頃から霧雨が、午後にはパラパラと本格的に降り始め、気温も朝より下がるという予報通り、どんどん寒くなってきました。

配布名簿リストのお宅を探しますが、、、、、、、。なかなか見つかりません!
夫が事前にインターネット地図で住所を検索、紙の地図に落とし込んでいたのですが、行ってみたら津波に全部流されていて家は一軒もないとか、違う住所だった、とか。。。スマートフォンでその場で調べても同じ結果です。
トラックは4トンなので入れる道が限られ、邪魔にならない場所に停めて、歩いて目的のお宅を探します。

紆余曲折(?)を経て住人にお会いしてストーブ(点火用の電池もセット!)をお持ちしたことを言うと、本当に喜んでくださいました。  今回もまた、近所の大学生さんのメッセージ付き「あったかおまけ」もお付けしました! 若者からのプレゼントですとお伝えすると、おじいちゃんおばちゃんは思わず笑みがこぼれます。




復興組合で働いているとのこと。後ろにいる人たちもお仲間。トラックで通る私たちに手を振ってくれました。皆さんは田んぼを作るのだ、と。鋤や鍬のようなものを手に作業をしていました。
なんどもなんども「ありがとねー、嬉しい」と言っていました。


この方も復興組合で仕事をしているいて、私たちが行く時間に合わせて、自宅に戻ってお鍋のお湯で缶コーヒーを温めておいてくださいました。(涙)



こちらのお宅にはおばあちゃんがいらして、「3/11の震災で大腿骨骨折をして4か月入院してたんだー」と。両手に杖を持って歩いていらっしゃいました。
また写真のお父さん曰く、1階のリフォームにも800万かかったとのこと・・・。

写真には全然写らないのですが、リフォームしていない床や壁はどんなにふき取っても、うっすらと白いものが浮いています。海水の塩分なのでしょうか? 写真ではピカピカに見えますが、実際はそこここに震災の名残があります。お庭や道路にも海辺のような砂が窪みにたまっています。




はらこめし! 前回は、はらこめし屋さんを再開したお店で購入しましたが、今回はストーブをお届けしたお宅のお母さんが持たせてくれました。「はらこめし作る時はみんなに分けるから遠慮しないで持ってってー」と、大きな折詰2つを持たせてくれました。帰りの高速のサービスエリアでいただきました。具だくさんでおいしかったです。こちらの気持ちが「ほっと」しました。



今回は住所を探し当てるのに時間がかかって、34軒のお宅しか配れませんでした。
私たちが寒い思いしながら配るのはほんの一時です。でも地元の人たちは日々そこで生活しています。

ストーブを配布する中で「これで体があったまります。でもその前に心があったまりました」という言葉をいただき、こちらが感激しました。当プロジェクトの目指している「要支援者と支援者との架け橋となって、生活にホッとする安堵感を感じていただければ・・・」というのは、やはり方向は間違っていない、まだまだ続けたいと思いました。

そして今回もこのようにストーブをお届けできたのは、さまざまな方面からのご協力あってのことです。あらためて感謝申し上げます。

地元のボランティア団体と協力し合って、私たちは確実にストーブをお届けします。まだまだご寄付を受けつけております。ご協力をどうぞよろしくお願い致します。