2011年10月22日土曜日

”東北ほっとプロジェクト”メンバー


笠原宗一郎:東京都在住
TV技術プロダクションで働く傍ら自分の生活と共存・持続可能な被災地支援を考えています。

震災発生当事、連日の報道やインターネットに流れる情報を見ても実感が湧かず、4月の終わりに被災地入り。その時の壊滅的な町、凄惨な光景、水に濡れた家畜の餌が発酵した悪臭は決して忘れない。

”石巻ボランティアセンター”に参加し、津波被害地域の泥出し、瓦礫撤去。
ボランティア団体”チーム王冠”に参加し行政支援のない自宅避難者への物資配布を手伝う。

そこで見聞きした被災者の生の声をもとに、東京にいる間も何かできることはないかと必要とされている家電(夏は冷蔵庫、扇風機、洗濯機など) 集めに東奔西走。子供たちの多い仮設へ水鉄砲やビニールプール、シャボン玉を送ったり、ミュージシャンを招いてJazzイベントを開催したり、現地夏祭りのお手伝い、芋煮会など自分にできる範囲の事は考えつくだけやってみる。

半年近く被災地へ行く中で現在の最大の関心事は『被災地の越冬』

自分が体験した4月末の寒さでさえ、身に堪えた。
少しでも被災地の人が”普通の生活”を取り戻せるように、
”東北ほっとプロジェクト”を立ち上げました。
今は石油ストーブ支援をおこなっていますが
最終的には「みんながホッと安心できる暮らしが戻ること」を目指しています。
そしてそれが本当の意味で”復興”なのかなと思います。

活動を通して被災地の”今”を情報発信し続けていきたい。
それが必要とされなくなるまで・・・。

*-*-*-*-*



















杉崎順一:神奈川県在住
自営業(質店店主)。東北ほっとプロジェクト会計担当。

2011年4月末に物資運搬の支援(山形県南陽市・宮城県気仙沼市)へ行った後、5月GW後からは「チーム王冠」と協力しながらボランティア活動(最初は買い物支援バス)を開始しました。

その後、炊飯器・冷蔵庫・洗濯機などの生活家電の調達・運搬・配布(家電品を届けるプロジェクト)と石油ストーブ支援(東北ほっとプロジェクト)を進めてきました。
現地に赴いての活動時間が限られるので、主に首都圏でできる活動で、被災地自宅避難者が日常生活を取り戻すために協力できればと考えています。

被災地ではまだまだ多方面で支援の手が必要な場所がたくさんありますが、ボランティア活動の人手は絶対的に不足しているようです。長期的、継続的な支援活動をこれからも続けていくために、皆様の少しのお力添えがいただければ幸いです。

*-*-*-*-*













杉崎庸子:神奈川県在住。
杉崎順一の妻。夫とは別に質店を経営しています。東北ほっとプロジェクトでは、名ばかりの副会長。
 
もともとは温泉、昼寝、食べることが大好きなぐうたら人間です。
東北には身内も友人もおりませんが、3月11日以降、津波の様子や現地での様子を報道で見聞きするたびに、何かせずにはいられない気持ちに駆られて、微力ながら夫とともに支援活動を始めたのが、震災のちょうど2か月後でした。
 
それ以来、月に1、2度宮城に行き、現地のボランティア団体”チーム王冠”の指示のもと、被災者への生活状況の聞き取り調査や物資の配布をしました。
 
被災者の中には仮設住宅ではなく、1階を津波に流された自宅の2階に住んでいる人がたくさんいて、そういう人たちはほとんどの家電を流されてしまっています。そのため、夏にはインターネットで呼びかけて関東で中古の家電を集めて、トラックで現地へ運び、被災者に配るという一連の活動もしました。
 
義援金や支援金は支給されても家の修繕費にも足りません。また沿岸部の産業が震災で壊滅状態となったために失業し収入の見通しが立たない中で、津波で失ったストーブやこまごました生活必需品を買い直す資金もない人たちがたくさんいます。 
 
そんな自宅避難者の人たちに、身も心も温かくなって欲しいと、現地で知り合ったボランティア仲間と一緒に、9月に「東北ほっとプロジェクト」を立ち上げ、ストーブを届けるプロジェクトを始めました。
 
多くの被災者の方々が、家屋や財産を失い、仕事を失い、何よりも一番大切なご家族や友人、仲間を失っています。まずは衣食住の安定があって、初めて被災者はスタートラインに立てると考えます。今はまだとても復興の端緒にもついていません。
 
ストーブの季節が去っても、これからも現地のニーズをとらえて、被災された方々がホッとできるようなお手伝いを続けて行きたいと思っています。
 
これまでの活動や個人的な感想などのブログも書いています。よろしかったらご覧ください。
Twitter @yokosugisaki
 

0 件のコメント:

コメントを投稿